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もっとも美しい対称性

ある特定の不変性のもとで変化するものの構造を探る数学の分野に「群論」というものがある。不変であることと対称であることは関連があって、何かを不変にする操作、変換、運動は、対称的な構造をもっている。たとえば、正三角形の形を不変にする操作は、重心を軸に120度回転させる操作(回転対称)と、頂点から底辺に垂直に落とした線を基準に裏返す操作(鏡映対称)の組み合わせで構成される。

symmetry.png


これらの操作をすべて数え上げると全部で6種類ある{120度回転、240度回転、裏返す、120度回転して裏返す、240度回転して裏返す、なにもしない}。そして、これらの操作の組み合わせはまたその操作のどれか一つになっている。たとえば、「裏返す」の後に「120度回転」する操作の合成は、「240度回転して裏返す」操作になっている。「群」とはこのような操作の集合であって、その組み合わせもその集合の一部になっているもののことである。正三角形の場合は6つ操作(元)からなる群であったけれど、同じような群が他の正多角形についても存在する(元の数はもっと多くなる)。このような有限の操作からなる群を有限群という。さらに正多角形を円にすると操作の数は無限個になる(円は回転という操作に対して不変で、0度から360度までの回転は無限個ある)。そのような群を無限群という。

さてこれらの群について、群に関わってきた数学者の逸話を通して解説した本にイアン・スチュアート著の『もっとも美しい対称性』がある。この本は紀元前の古代バビロニア時代からはじまるので最初は退屈だが,18世紀の数学者ガウスや群論の生みの親であるガロアが出てくるあたりから面白くなってくる。ハミルトンが苦心して四元数を考えだした話や、ほとんど知られていないが群の分類という重要な仕事をしたキリングの話なども新鮮であった。その後は、物理学との関連で話が進みアインシュタインの相対性理論から超ひも理論まで解説されている。最新の理論によれば宇宙は八元数からつくられる群で記述できるらしく、宇宙は数学的に美しい構造をしているという信念が語られている。

もっとも美しい対称性もっとも美しい対称性
(2008/10/16)
イアン・スチュアート

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2011.07.11 | | Comments(0) | Trackback(0) | その他の本

ディアスポラ

「ディアスポラ」はグレッグ・イーガンの長編SF小説(以下、ネタバレあり)。イーガンの多くの小説には「自分とは何か」という問いが含まれており、「ディアスポラ」もそれがひとつの主題となっている。この小説は、多くの人類が(映画トロンのように)スキャンをしてポリスと呼ばれるコンピュータの中で暮らすようになった未来が舞台。主人公ヤチマは、物理世界の人のスキャンではなくポリスの<創出>というプログラムが生み出した孤児である。要するに人工意識体。このようなスキャンした人たちやヤチマは寿命に制限がないので、宇宙船を作って長い旅に出る。しかも自分のコピーを複数作って、それぞれ別々の方向へ向かう。旅の目的は異星人の探索や他の宇宙に行く方法を探ることである。

この小説の最後にヤチマがとった行動から、著者の意識に対する考えが伺える。ヤチマは友達が別の宇宙に旅立った後、今いる宇宙に残り「意識の不変量」の発見を目指そうとするところで物語が終わる。すなわち、自分が自分であり続けるための数学的な構造は何かということである。別の宇宙に行く方法というすごいことがわかるくらい時間が過ぎているのだから、「意識の不変量」なるものはとっくに見つかっているのではないかと思ってしまう。「意識の不変量」を見つけるということはそれくらい難しいハードプロブレムだということかもしれない。



テーマ:心・脳・言葉・人工知能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2011.05.01 | | Comments(0) | Trackback(0) | 雑記

Gibsonの情報抽出理論

J. J. Gibsonは、知覚について計算理論のレベルに近いことを考えた心理学者である。Gibsonは、知覚というのは絶えず変化する感覚から環境の情報を抽出することであると考えた。目や耳などの受容器だけでは環境の情報は得られず、システム(身体全部)が能動的に環境から情報を抽出していると考えた。ここでいう情報の抽出とは、観測者が感覚刺激から構造(視覚の場合は包囲光配列, optic array)の不変項(invariants)を検出することである。たとえば、自分の鼻より包囲光配列が遮蔽されると、観測者はある不変項を検出し、環境の一部を特定できる。そして、(不変項の検出はおそらく簡単に行えると考え)観測者が環境に共鳴する(resonating)ことにより不変項を検出していると考えた。しかし、MarrによればGibsonは情報処理の難しさを正しく認識していなかったという。この共鳴という一語で集約されていることに、三次元情報の復元など難しい情報処理がたくさん含まれているのであるが、Gibsonはその問題を省みなかった。

私がGibsonの主張した点で最も重要だと思うのは「知覚は不変項を検出すること」である。自然科学とは単純に言えば、"変化するもの"から"変化しないもの"を区別することである。たとえば、太陽は動かない(不変)という仮説から太陽系が単純に記述できるという地動説が生まれ、光の速度が一定(不変)という制約から、特殊相対性理論が導かれた。このような自然科学者が腐心して行っている不変項の抽出を、すべての観測者が環境に対していとも簡単に行っていると考えた点が面白い。

テーマ:心・脳・言葉・人工知能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2011.04.26 | | Comments(0) | Trackback(0) | 雑記

Marrの3つのレベル

David Marrが提唱した脳の情報処理を理解するために必要な3つのレベルについて書いてみる。3つのレベルとは、計算理論(computational theory)、表現とアルゴリズム(representation and algorithm)、そしてハードウェアによる実現(hardware implementation)である。この3つのレベルの研究が統合されたときにはじめて脳が行っている情報処理課題が理解される。とくにMarrはこれまであまり考慮されていなかった計算理論の重要性を説いた。

計算理論のレベルでは情報処理システム(脳)が何をするのか(what)、そして、なぜそれを行うのか(why)を問う。表現とアルゴリズムのレベルではある計算理論がどのようなアルゴリズムで実行されているのかを調べる(アルゴリズムとは、はじめにこれをやって、次にこれをして、というような順番に行う手続きのことである)。3つめのハードウェアによる実現のレベルではアルゴリズムを実行している物質的基盤について調べる。以下にMarrのビジョンに書かれている3つのレベルの例を上げる。

例:キャッシュレジスタの計算理論
計算理論:(what) 商品の値段を加算する。(why) 商品の合計金額を算出し、お金と商品を交換するため。
表現とアルゴリズム:(representation) 2進数。(how)逆ポーランド記法によるアルゴリズム。
ハードウェアによる実現:電線とトランジスタ。

一般にひとつの計算理論に対して複数のアルゴリズムが存在し、ひとつのアルゴリズムに対して複数のハードウェアによる実現がある。キャッシュレジスタの計算理論に対する他の表現とアルゴリズムについては我々が行うような10進数による筆算のアルゴリズムも考えられるし、ハードウェアによる実現についても紙とペンや、バベッジの解析機関なども考えられる。このように異なるレベルに分類することは、それぞれのレベルを独立に研究すればよいということを意味しない。 ハードウェアによる実現のレベルは可能な表現とアルゴリズムを制限するし、表現とアルゴリズムは可能な計算理論を制限する。その逆もまたしかりである。キャッシュレジスタの場合、電線とトランジスタの接続からそれを用いてできるアルゴリズムは制限されるし、商品の合計金額を出し、おつりを渡すという計算理論からそれを実現するためのアルゴリズムも制限される。

アルゴリズムに関して言えば少ない計算ステップというのが重要な制約条件である。例えば、ひとつひとつの商品の消費税を個別に計算し加算するよりは、商品の合計金額を出した後で消費税を計算した方が速い。我々は数百ミリ秒の間に感覚器から入ってくる情報をもとに外界を認識し目標に対する運動計画を行い運動指令を計算しているので、少ない数のステップで実現可能なアルゴリズム、またはそのようなアルゴリズムを規定する計算理論を考えなくてはならない。神経回路の逆方向接続を考慮しても、脳は高々数十回の計算ステップでこれを行っている。このようなことを可能にするアルゴリズムも計算理論も未解明のままである。どんなに美しい計算理論でもそれを実現するためのアルゴリズムが数千回のステップを要するならば、アルゴリズムひいては計算理論を再考しなくてはならない。ひょっとすると他の科学的な理論にあるような単純さ(simplicity)という条件は、脳のアルゴリズムには当てはまらないかもしれない。多少不格好でも脳が逐次的に行えるものが優先される。進化の産物である以上、脳が行っているアルゴリズムの最適性は保証されない。

Computational Neuroscienceが面白い理由のひとつは計算理論のレベルがあるからだと思う。Computational Neuroscienceは神経回路がどのように動いているのかを調べるだけでなく、そのプロセスは何を意味し、なぜそれを行っているのかまで問う。howにとどまらず、whyを問い、その答えを見つける方が面白い。反対に、神経科学が学問として物理学のようにしっかり確立していないのは、計算理論のレベルの理解が少ないからでもあると思う。とくに3つのレベルで統一的に理解されているものは少ない。提案されている理論も機械学習や制御理論から拝借してきたものが多くComputational Neuroscienceの独自性が問われる(実験によりおおよそ正しいと検証されたのなら機械学習の理論でも問題無いとは思うが)。神経科学の知見から着想されたものも少なくはないがどこか魅力がない。それはおそらく機械学習や制御理論のように実問題を解決してくれないからだと思う。実問題を解決してくれるほど洗練された脳の計算理論、アルゴリズムが望まれる。


Marrの3つのレベルについてはpooneilさんのところでも議論されています。

2008.04.13 | | Comments(2) | Trackback(1) | 雑記

模型は心を持ちうるか 2

前回からだいぶ間があいてしまいましたが、『模型は心を持ちうるか』を読んで驚いたことがあるので書いておきます。それはプレディクティブ・コーディングに近い考え方をブライテンベルクが持っていたことです。

13番目に登場する模型は予測(本書では予見または予言とよばれている)装置を持っています。この装置は環境が移り変わる規則と同じような規則で常に環境の変化を予測しています。予測と環境からの入力が食い違う場合が起きると、環境からの入力を信じるようにスイッチが切り替わります。そして今後もっと予測がうまく行くように装置を学習させる機構が働きます。プレディクティブ・コーディングでは予測と入力のオンオフで切り替わったりしませんが、本質的なアイディアは似ています。
この装置がプレディクティブ・コーディングと最も異なるところは、予測と入力が異なると判断をした後で入力を信じなくてはならなくなっときに、その入力がすでに一時刻後のものになっているため、逐次入力を短時間保存しておく記憶装置が必要であるということです。

予測という考えが出てきた背景には、ただのヘブ側ではうまく模型(生物)が環境に適応するようにならないだろうという考察があるようです。同じことが強化学習で有名なサットンとバルトの論文(1981)にも載っているそうです。予測に関するブライテンベルクの考えは1973年の論文に載っていて、「同じことを考えた人は他にもいるだろう」と書かれているので、環境を認識するうえで予測が必要という考えは昔からあったようです。

2008.02.08 | | Comments(0) | Trackback(0) | その他の本

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