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ディアスポラ

「ディアスポラ」はグレッグ・イーガンの長編SF小説(以下、ネタバレあり)。イーガンの多くの小説には「自分とは何か」という問いが含まれており、「ディアスポラ」もそれがひとつの主題となっている。この小説は、多くの人類が(映画トロンのように)スキャンをしてポリスと呼ばれるコンピュータの中で暮らすようになった未来が舞台。主人公ヤチマは、物理世界の人のスキャンではなくポリスの<創出>というプログラムが生み出した孤児である。要するに人工意識体。このようなスキャンした人たちやヤチマは寿命に制限がないので、宇宙船を作って長い旅に出る。しかも自分のコピーを複数作って、それぞれ別々の方向へ向かう。旅の目的は異星人の探索や他の宇宙に行く方法を探ることである。

この小説の最後にヤチマがとった行動から、著者の意識に対する考えが伺える。ヤチマは友達が別の宇宙に旅立った後、今いる宇宙に残り「意識の不変量」の発見を目指そうとするところで物語が終わる。すなわち、自分が自分であり続けるための数学的な構造は何かということである。別の宇宙に行く方法というすごいことがわかるくらい時間が過ぎているのだから、「意識の不変量」なるものはとっくに見つかっているのではないかと思ってしまう。「意識の不変量」を見つけるということはそれくらい難しいハードプロブレムだということかもしれない。



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テーマ:心・脳・言葉・人工知能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2011.05.01 | | Comments(0) | Trackback(0) | 雑記

Gibsonの情報抽出理論

J. J. Gibsonは、知覚について計算理論のレベルに近いことを考えた心理学者である。Gibsonは、知覚というのは絶えず変化する感覚から環境の情報を抽出することであると考えた。目や耳などの受容器だけでは環境の情報は得られず、システム(身体全部)が能動的に環境から情報を抽出していると考えた。ここでいう情報の抽出とは、観測者が感覚刺激から構造(視覚の場合は包囲光配列, optic array)の不変項(invariants)を検出することである。たとえば、自分の鼻より包囲光配列が遮蔽されると、観測者はある不変項を検出し、環境の一部を特定できる。そして、(不変項の検出はおそらく簡単に行えると考え)観測者が環境に共鳴する(resonating)ことにより不変項を検出していると考えた。しかし、MarrによればGibsonは情報処理の難しさを正しく認識していなかったという。この共鳴という一語で集約されていることに、三次元情報の復元など難しい情報処理がたくさん含まれているのであるが、Gibsonはその問題を省みなかった。

私がGibsonの主張した点で最も重要だと思うのは「知覚は不変項を検出すること」である。自然科学とは単純に言えば、"変化するもの"から"変化しないもの"を区別することである。たとえば、太陽は動かない(不変)という仮説から太陽系が単純に記述できるという地動説が生まれ、光の速度が一定(不変)という制約から、特殊相対性理論が導かれた。このような自然科学者が腐心して行っている不変項の抽出を、すべての観測者が環境に対していとも簡単に行っていると考えた点が面白い。

テーマ:心・脳・言葉・人工知能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2011.04.26 | | Comments(0) | Trackback(0) | 雑記

Marrの3つのレベル

David Marrが提唱した脳の情報処理を理解するために必要な3つのレベルについて書いてみる。3つのレベルとは、計算理論(computational theory)、表現とアルゴリズム(representation and algorithm)、そしてハードウェアによる実現(hardware implementation)である。この3つのレベルの研究が統合されたときにはじめて脳が行っている情報処理課題が理解される。とくにMarrはこれまであまり考慮されていなかった計算理論の重要性を説いた。

計算理論のレベルでは情報処理システム(脳)が何をするのか(what)、そして、なぜそれを行うのか(why)を問う。表現とアルゴリズムのレベルではある計算理論がどのようなアルゴリズムで実行されているのかを調べる(アルゴリズムとは、はじめにこれをやって、次にこれをして、というような順番に行う手続きのことである)。3つめのハードウェアによる実現のレベルではアルゴリズムを実行している物質的基盤について調べる。以下にMarrのビジョンに書かれている3つのレベルの例を上げる。

例:キャッシュレジスタの計算理論
計算理論:(what) 商品の値段を加算する。(why) 商品の合計金額を算出し、お金と商品を交換するため。
表現とアルゴリズム:(representation) 2進数。(how)逆ポーランド記法によるアルゴリズム。
ハードウェアによる実現:電線とトランジスタ。

一般にひとつの計算理論に対して複数のアルゴリズムが存在し、ひとつのアルゴリズムに対して複数のハードウェアによる実現がある。キャッシュレジスタの計算理論に対する他の表現とアルゴリズムについては我々が行うような10進数による筆算のアルゴリズムも考えられるし、ハードウェアによる実現についても紙とペンや、バベッジの解析機関なども考えられる。このように異なるレベルに分類することは、それぞれのレベルを独立に研究すればよいということを意味しない。 ハードウェアによる実現のレベルは可能な表現とアルゴリズムを制限するし、表現とアルゴリズムは可能な計算理論を制限する。その逆もまたしかりである。キャッシュレジスタの場合、電線とトランジスタの接続からそれを用いてできるアルゴリズムは制限されるし、商品の合計金額を出し、おつりを渡すという計算理論からそれを実現するためのアルゴリズムも制限される。

アルゴリズムに関して言えば少ない計算ステップというのが重要な制約条件である。例えば、ひとつひとつの商品の消費税を個別に計算し加算するよりは、商品の合計金額を出した後で消費税を計算した方が速い。我々は数百ミリ秒の間に感覚器から入ってくる情報をもとに外界を認識し目標に対する運動計画を行い運動指令を計算しているので、少ない数のステップで実現可能なアルゴリズム、またはそのようなアルゴリズムを規定する計算理論を考えなくてはならない。神経回路の逆方向接続を考慮しても、脳は高々数十回の計算ステップでこれを行っている。このようなことを可能にするアルゴリズムも計算理論も未解明のままである。どんなに美しい計算理論でもそれを実現するためのアルゴリズムが数千回のステップを要するならば、アルゴリズムひいては計算理論を再考しなくてはならない。ひょっとすると他の科学的な理論にあるような単純さ(simplicity)という条件は、脳のアルゴリズムには当てはまらないかもしれない。多少不格好でも脳が逐次的に行えるものが優先される。進化の産物である以上、脳が行っているアルゴリズムの最適性は保証されない。

Computational Neuroscienceが面白い理由のひとつは計算理論のレベルがあるからだと思う。Computational Neuroscienceは神経回路がどのように動いているのかを調べるだけでなく、そのプロセスは何を意味し、なぜそれを行っているのかまで問う。howにとどまらず、whyを問い、その答えを見つける方が面白い。反対に、神経科学が学問として物理学のようにしっかり確立していないのは、計算理論のレベルの理解が少ないからでもあると思う。とくに3つのレベルで統一的に理解されているものは少ない。提案されている理論も機械学習や制御理論から拝借してきたものが多くComputational Neuroscienceの独自性が問われる(実験によりおおよそ正しいと検証されたのなら機械学習の理論でも問題無いとは思うが)。神経科学の知見から着想されたものも少なくはないがどこか魅力がない。それはおそらく機械学習や制御理論のように実問題を解決してくれないからだと思う。実問題を解決してくれるほど洗練された脳の計算理論、アルゴリズムが望まれる。


Marrの3つのレベルについてはpooneilさんのところでも議論されています。

2008.04.13 | | Comments(2) | Trackback(1) | 雑記

日経サイエンス2007年11月号

日経サイエンス2007年11月号から二つ紹介。

まずは「サメの第六感 獲物をとらえる電気感覚」という記事について。
サメの口の周りには周囲の電場を感じ取れる器官があって、この感覚器により獲物を捕らえるそうです。魚の体と海水ではイオン濃度が違うため、魚は周囲に弱い電場を作り出しています。サメは獲物までの距離が1メートル以内に近づくと、その獲物の出す電場をもとにその位置を把握し食らいつくそうです。
なぜ視覚を使わないのかと思いましたが、1メートル以上近づくとサメの眼と口の構造上、獲物の位置が見えにくくなるか、全く見えなくなるのでしょう。いろんな感覚器が存在するのですね。

「もし人類が消えたら地球は?」がこの号では最も面白かったです。Scientific Americanの記者がアリゾナ大学のワイズマン准教授("The World without Us"の著者。 邦訳は来週発売予定)にインタビューして作成された記事です。人類消滅から7日で原子炉の炉心融解が起こり、5年後には雷による火災でニューヨークの大部分が燃え尽きるかもしれないそうです。
人類がいなくなったあとの勝ち組は、ビルや電線にぶつからなくなった鳥類、駆除されることがなくなった蚊、繁殖力の旺盛な樹木だそうです。また、負け組は、人類の出すゴミがなくなっために飢え死にするネズミ、冬を生き延びるための暖房が無くなったゴキブリなどだそうです。
10万年後にようやく二酸化炭素濃度が産業革命以前のレベルに戻り、プラスチックの一部は数十万年たってもそのままかもしれないそうです。ワイズマン准教授によれば人類がいなくなったあとを想定することで、環境問題について別の視点から考察できるかもしれないとのことです。
原子炉というのは常にメンテナンスしていないといけない代物なのですね。またネズミやゴキブリはほとんど人間の生活に依存していることもわかりました。

2007.10.25 | | Comments(0) | Trackback(0) | 雑記

順列都市

グレッグ・イーガンのSF小説『順列都市』を読みました。

この小説は、人体を高解像度でスキャンしてコンピュータ上に再現できるようになった時代を描いています。コンピュータ上に再現された人は「コピー」と呼ばれ、コピーにも現実の人物と同じような意識が存在します。小説のストーリーについてはいろいろなサイトで紹介されているので省きますが、私が昔から疑問に思っていることの一つがこの「コピー」です。

主人公の一人であるソフトウェア・デザイナー 兼 人工生命研究者のマリアは、自分をコピーする際に自分の腕にマーカーペンで印をつけ、その印だけをスキャナが読み込まないようにしました。つまり、現実のマリアには印があり、コピーには印がないようにしたのです。物理世界のマリアはスキャン後目が覚めたときに自分の腕に印があることを確認して安心します。一方、コピーのマリアは印がないことに愕然とします。

私の疑問は「私がコピーされたときにいったいどちらの私として目を覚ますのか」ということです。現実世界の自分として目を覚ますのでしょうか?では私がコピーだっとしてそれをさらにコピーしたらどちらのコピーとして私は目を覚ますのでしょうか? どちらのコピーも私として目を覚ますのでしょうか。確率1/2でどちらかになるのでしょうか? または「心のコピー」など不可能なのでしょうか。そもそもこの問い自体が間違っているのでしょうか。

今はただの思考実験でしかなくても、将来、もし意識をもつソフトフェアが現れたら、(倫理的な問題が生じるかもしれませんが)検証可能となるでしょう。

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2007.06.30 | | Comments(1) | Trackback(0) | 雑記

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