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マインド-心の哲学6章

6章「志向性」です。
この章はいささか哲学的です。ちなみに志向性とは外界などを指し示す様のことをいいます。

志向性には3つの問題がある。第一に、どうして志向性がありうるのか、第二に、志向状態が可能だとしたらその内容はどのように決定されるか、第三に、志向性のシステム全体はどのように機能しているか。サールが一章で志向性の問題に言及していたときは、三番目の問題については述べられていなかったが、ここで、三番目の問題が最も興味深いと言ってる。また、t字のインショナリティ intentionality(志向性)とs字のインテンショナリティ intensionality(内包性)を区別することが重要とのこと。

1 志向性はいかに可能か
端的に言うと、ニューロンの振る舞いによって生じる。志向性とは表象の一形式だそうだ(私はなぜ志向性が表象そのものでないのかがわからない)。

2 志向性の構造
この小節では、志向性の形式的な構造について述べられているが、私はほとんど同意できなかった。この小節であげられている志向性の分類にいったいどんな意義があるのかわからない。神経生物学的特性を考えると境界線がすぱっと引けるものではないと思う。

3 二つのインテンショナリティ 志向性と内包性
内包性とは外延性に対立する概念だそうだ。ここで内包性について十分な説明があるわけでない。私の理解では、内包性とは、ある人の信念に関しての表象であって、その表象が真であるか否かはある人の信念状態に依存するといこうとことらしい。

4 志向内容の決定論 外在主義をめぐる二つの議論
ここでは、志向内容はある人の内にはなく、外部とその人の内部に混在してあるという主張を紹介して、それを論破している。外在主義者は可能世界の議論をして志向内容が内在していないと主張している。


サールは志向性は情報だと言っているので、その情報処理について、計算論的神経科学とかシステム神経科学の言葉で語ることが可能だと思う。その方が私にとっては哲学的な言葉で説明されるよりもわかりやすい。

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2006.07.30 | | Comments(0) | Trackback(0) | マインド-心の哲学

マインド-心の哲学5章

5章「意識の構造と神経生物学」です。

意識の性質として、
1 質的であること
2 主観性
3 統合性
4 志向性
5 気分
6 中枢と抹消の区別
7 快/不快
8 状況性
9 能動的な意識と受動的な意識
10 ゲシュタルト構造
11 自己の感覚
をあげています。

「質的であること」では、意識とクオリアは同じ対象を指しているのだから、クオリアという用語は使わないと言っています。わたしもそう思います。クオリアと呼んだところで当該の問題が簡単になるわけでも、見通しがよくなるわけでもないのですからね。
「統合性」では、物理的なものが分割できるようには意識は分割できない、このことを理解することが重要であると言っています。

今の科学的手法では意識は解明できないと考える人たちのことをミステリアン(mysterian)というそうです。サールは、おそらくミステリアンの見解は正しい、しかし悲観的すぎると言っています。そして、神経生物学的なアプローチを取ることが正しいそうです。
神経生物学的なアプローチでは、まず意識と相関のある神経活動(NCC, Neural Correlates of Consciousness)を見つけ、第二段階で、その相関関係が因果的であるかどうかを調べ、第三段階で理論をつくる、という三段階のアプローチとることを提案しています。
また、この研究は2つの異なるグループに分けることができて、それぞれ「ビルディング・ブロック・アプローチ」、「統合野アプローチ」と呼ぶそうです。
「ビルディング・ブロック・アプローチ」は、意識野全体を独立した意識の構成単位から成ると考え、特定の意識体験に関するNCCを見つけようとします。ただ、このアプローチにはちょっとやっかいな性質(問題点)があるそうです。それは、無意識的な主体が知覚刺激などによってそのときのみ意識体験をもって、また無意識的になるということが論理的にはあり得るということです。
「統合野アプローチ」は、ある特定の意識経験に注目するのではなく、「そもそも脳はどうやって意識野全体を生み出すのか」と問うものだそうです。ただ、よくよく考えてみると、新しい意識を作り出すというよりは、先立って存在していた意識野を知覚入力などによって変化させると考えるほうが良いそうです。

この章の最後に、質的、主観的な状態という本来の意味での意識は、なぜか重要でない問題とされてきたが、そもそも意識があるからこそ、いろんなものごとが重要性をもつのではないかと強く語っています。


【“マインド-心の哲学5章”の続きを読む】

2006.07.26 | | Comments(0) | Trackback(0) | マインド-心の哲学

マインド-心の哲学4章

四章「意識1 意識と心身問題」はこの本の山場であると思う。

この章では唯物論と二元論それぞれに対して反駁を行い、サールが自説を披露している。
唯物論も二元論もどちらも部分的には正しいが、すべてが正しいわけではない。私たちは伝統的な言葉に引きずられて、無理に唯物論的か、もしくは二元論的であると考えがちであるが、そう考える必要はない。伝統的な考え方を意識的に忘れて、事実の記述につとめ、それぞれ正しい部分を間違った部分から切り離すことが重要である。

はじめに四つの誤った概念として、「心的なものと物理的なものの区別」、「還元」、「因果と出来事」、「同一性」をあげて、これらの概念がどのように誤っているか説明している。

ここでは、とくに重要であると思われる「還元」という概念だけを紹介しておく。還元は哲学においてもっとも混乱した概念のひとつであるという。還元という概念を用いるうえで大切なことは、因果的な還元と存在論的な還元を区別することである。しかし、この区別ができていない。この二つの違いを説明するため、タイプAの現象をタイプBの現象に還元する場合を考えてよう。

因果的に還元できるといえるのは、タイプAの現象のすべてがタイプBによって因果的に説明され、かつ、タイプAの現象がタイプB以外の現象を因果的に引き起こさない場合に限られる。たとえば、個体性(2つの物体が同時に同じ空間を占められないとか)は分子のふるまいから因果的に説明できる。

存在論的に還元できるといえるのは、タイプAの現象がタイプBの現象にほかならない場合に限られる。たとえば、物質は分子の集合に他ならないなどである。

そして、サールは意識は因果的に還元できるが、存在論的には還元できないと主張する。

グラスや木などはその表面的な性質によって(存在論的に)説明できる。分子的な振る舞いによって(因果的に)も説明できる。科学の歴史において、存在論的な還元が因果的な還元によって定義しなおされてきた。しかし、意識の場合、因果的な還元による説明だけでは不十分である。なぜなら、意識とは、一人称的・主観的な性質をとらえる概念であるからである。もし、三人称的な用語で定義しなおせば、意識という概念をもつことの意義が失われる。

唯物論者は、主観的、質的な現象で物理的なものに還元不可能なものはないという。つまり、あるのは三人称的,客観的な現象だけであると。二元論者は、意識は三人称的なものに還元できないという。つまり、心的なものと物理的なものがあると。

意識は神経生物学的な過程に因果的に還元できる。言い換えれば、意識は神経生物学的な過程とは別な何かではない。しかし、意識の一人称的・主観的な性質は神経生物学的な過程には還元できない。これがサールが唱える「生物学的自然主義」であり、唯物論とも二元論とも異なる。

2006.07.17 | | Comments(0) | Trackback(0) | マインド-心の哲学

君と僕とのKLダイバージェンス

先週、研究室の人たちと自由意志について議論をしていたら、なぜか専門用語でいかに女の子を口説くかという話題にかわっていました。専門用語を出した時点で負けだと思いますが、、、まあでも、日常的に使っている言葉だから、思わず口にしてしまいますよね。とくに"prior"なんかは。

その話の中でとてもすてきなフレーズが出たのでここに書き留めておくことにします。それは「君と僕とのKLダイバージェンス」。KLダイバージェンスとは2つの確率分布の間の距離を測るものさしのひとつです。でもその意味がわからなくても、なにかこのフレーズには引きつけられるものがある気がします。

君と僕との?
そして?はなんだかよくわからない横文字。

詩にはよく神話や錬金術に出てくるようなよくわからない言葉がちりばめられていたりします。これはたぶん、詩とおなじなんですよ。よくわからなくても響きがよければ十分で、そして、そのよくわからなさがますます魅力的にさせる。

ということで、専門用語ですてきな響きをつくれるのではないでしょうか。

寺田寅彦が読みたくなった今日この頃でした。

2006.07.07 | | Comments(4) | Trackback(0) | 雑記

SPIKES 3章前半

3.1 Why information theory?
私たちは感覚刺激についての"情報を得る" とか、スパイク列が”情報を運ぶ”とか言う。この節では情報という言葉について、もう少し正確な定義を与える。

3.1.1 Entropy and available information
まず情報理論の基本的枠組みを紹介している。
message Xが与えられて、それがP(X)という確率分布に従うとき、利用できる情報の可能性を測る値としてエントロピー:

S = - int P(X) logP(X) dx

というものを定義する。
さらにXがガウス分布に従う場合のエントロピーを定義する。単位の取り方や、変数変換によってエントロピーは変化してしまう。そのためエンントロピーの絶対値を議論するのではなく、エントロピーは相対値で見るのが良い。

3.1.2 Entropy of spike trains
知覚とニューロン応答の関連を見る前に、スパイク列それ自体がもつ情報量について考察する。
ここではスパイク列の情報量については二つの見方をしている。
1. binで区切って情報量を見る(情報量はΔτの関数)
2. ある時間窓の中にn個スパイクがあるかで情報量を見る(情報量はnの関数)
n << 1 のとき、どちらも対して違わない。

ここで重要なことは次の二つだと思われる。
まず、情報量を考えることで私たちにスパイク列の見方の基準を与える。
さらに、一つのスパイクは1bit以上の情報をもつということである。
(これはある程度細かくbinを区切ると、スパイクがあるbinに表れる確率が減るので、当たり前といえば当たり前。)

3.1.3 Mutual information and the Gaussian channel
入出力関係を測るには相互情報量を用いるのが良い。ここで言う入力とは知覚刺激で出力とはスパイクなどのニューロンの応答である。相互情報量はどれだけ入力と出力が近いかを測る。
信号伝達のモデルが

y = gs + η

とする。yが出力、sが入力、gがgain、ηがノイズである。
入力信号にGaussianを仮定するといろいろと良い性質が表れる。
ここで信号伝達のモデルを次のように書き換える:

y = g(s + n_eff).

ここでn_eff = η/gである。n_effをeffective noiseと呼ぶ。
こうすると相互情報量を入力信号のSN比(s^2/n_eff^2)として表すことができるようになる。
相互情報量は入力信号と入力ノイズが互いに独立でGaussianのときに最大となる。

3.1.4 Time dependent signals
信号に定常性が仮定できる場合、時間の基準点に依存しない解析方法としてフーリエ解析を紹介している。
興味のある関数f(t)の分布P(f(t))がガウス分布に従うとしたとき、その分散は各フーリエ係数の分散の和に等しい。なぜならばフーリエ係数の分散は同じフーリエ成分どうし以外は0になるためである。また相関関数はパワースペクトラムのフーリエ変換で表される。
また、ある信号の相互情報量はそのフーリエ成分の相互情報量の和に等しい。ノイズのパワースペクトルがわかっている場合、最も効率のよい情報伝達を行うには信号のパワースペクトラムをどのように設定すればよいだろうか。これはノイズ+信号のパワーがすべての周波数で均一になるようにすればよい。

この小節ではハエのphotoreceptorの特性を調べている。この節の最終的な目標はこのphotorecptorがどれだけ情報伝達ができるのかを調べることである。そのためには相互情報量を計算してやれば良い。そして、相互情報量を計算するためには入力の各周波数成分のSN比を求めれば良い。

step1
photoreceptorに与える刺激は時間的にコントラストが変化する光である。この時、光刺激があるレスポンス関数とコンボリューションされて細胞の電圧になるとする。制御変数はコントラストで、観測値は細胞電圧である。これから周波数領域での伝達関数を求めることができる。

step2
観測値を試行平均して、その値を一試行ごとの観測値から引いてやるとノイズ成分が抽出でき、そこからノイズのスペクトラムを求めることができる。
こうして求めたノイズのパワースペクトラムをstep1で求めた伝達関数で割ってやると、入力の単位におけるノイズのパワースペクトラムを求めることができる。これは3.1.3で行った操作(n_eff = n/g)とほぼ等価である。

step3
あと必要なのは入力のパワースペクトルである。仮にphotoreceptorが最も効率の良い伝達をしているならば、前述したとおり、ノイズ+信号のパワーがすべての周波数で均一になるように信号のパワースペクトルを決めてやれば良い。

step4
各周波数ごとに相互情報量を求めて和をとれば、photoreceptorの情報容量を調べることができる。

(この流れは次節3.2のFig.3.15に載っている)


この節で言いたいことは、情報理論を取り入れると、ニューロン活動を調べる上での基準やものさし、上限や下限を与えられし、さらに情報理論の観点で求めた上限なり下限は、実際のニューロンの特性にわりと関連しているということだと思う。

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2006.07.03 | | Comments(0) | Trackback(0) | 輪講

マインド-心の哲学 3章

第三章では、唯物論への反論と、それに対する唯物論からの応答が紹介されている。

唯物論への八つ(と半分)の反論
1クオリアの不在
意識には質的な側面、クオリアがある。しかし、機能主義のような説明ではクオリアを説明できない。

2スペクトルの反転
二人が同じものを見たとき、内的な経験が同じかどうかはわからない。機能主義は内的な経験を説明できないのだから間違っている。

3トマス・ネーゲル コウモリであるということはどのようなことか
コウモリについての神経生理学的な知識が完璧にあったとしても、コウモリであるということはどのようなことであるかわからない。客観的な説明では意識の主観的な側面を説明できない。

4フランク・ジャクソン メアリーが知らなかったこと
これはほぼ3と同じ

5ネッド・ブロック 中国人民
中国人民が脳内のニューロンと同じように動作してとしても心をもつことはない。

6ソール・クリプキ 固定指示子
固定指示子とは、起こりうる可能性すべてにおいて、つねに同一の対象を指し示す表現である。ある人物の氏名がこれにあたる。ここで、同一性文(AはBであるという文)を考える。Aが固定指示子、Bが固定されていない表現の場合、この文は必ずしも真ではない。A、Bともに固定指示子の場合、この文は必然的に真である。今、Aに心的状態のタイプを示す固定指示子、Bに脳状態のタイプを示す固定指示子を考える。しかし、脳状態Bがなくても心的状態Aが起こりえるし、脳状態Bがあっても心的状態Aが起こりえないということもありえる。
よって、この同一性文は偽である。

7ジョン・サール 中国語の部屋
これは強い人工知能に対しての批判である。中国語の部屋と私では、動作は同じでも中身は全く異なる。私は理解してコミュニケーションをとるが、中国語の部屋には全く理解というものがない。
また計算は観察者関与的であるということである。この観点は重要であると思われる。「計算や情報は確かにそこにある。しかし、それは観察者関与的なのであって、計算機や書物に本来的に備わっているものではない」。

8ゾンビの想像可能性
自分と全く同一な振る舞いをするが心の状態をまったく持たないゾンビを考えられる。

どの主張も、唯物論では一人称的、主観的な側面を取りこぼしているという。

唯物論からの応答
サールによれば唯物論からのどの反論も不完全であるそうだ。

水とH2Oの場合は、2つの異なるものがあるのではない。H2Oから構成される水というものがあるだけだ。しかし、意識や志向性をニューロンの状態に同定しようとしたときはそのような説明が適切であるか疑わしい。心的現象に関する三人称的な記述は、「私」が経験する限りにおいてはじめて存在する意識とか志向性というものを取りこぼしてしまうからだ。

記号を操作することと、その意味を知ることは別のことだ。

物理的システムに関する三人称的な記述は、それが意識状態を備えていることを必然的に含んでいない。三人称的なふるまいに関わる物理的なものと、一人称の意識経験があるからだ。

結論
二元論がいわんとしていることも、唯物論がいわんとしていることもどちらも正しいように思える。本当の問題は概念的な混乱に関わっている。二元論と唯物論の見解を両立させるには、伝統的な語彙の背後にある前提を捨てなくてはならない。

2006.07.02 | | Comments(0) | Trackback(0) | マインド-心の哲学

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