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ブレインワイズ 6章

「6章 認識論とは」です。

1.プラトンの譲歩
認識論とは、「知とは何か」「知はどこからくるのか」の二つを通して知の本質を追求する学問である。認識論について歴史的に二つの学派がある。プラトンとアリストテレスである。プラトンは「数学こそ知の頂点」と考え、抽象的な思考を重視した。いっぽう、アリストテレスは自然科学的方法論を重視した。知覚と記憶は実験と観察によって調べることが可能と考えたのである。そして、ルネッサンスになって多くの科学的発見がなされると次第にプラトン主義は衰えていった。

2.心の科学と認識論
「心理学にはアリストテレスの時代からのほぼ2千年間、ほとんど画期的な進歩は無かった」。19世紀にブントが実験データに基づいた心理学を提唱した。そして、形而上学へのこだわりを捨て、内省と論理だけでは心の理解には不十分と主張した。さらに、「意識は無意識のレベルで産生されたものの合成によって生じる」と説いた。しかし、このような見方は哲学から軽視され続けている。

3.ダーウィンの革命
知覚や学習が進化の産物だとすれば、進化論を無視することはできない。しかし、哲学における認識論は、ダーウィンを無視する形で進んでいる。
ダーウィンは、生物が長い年月において「特定の環境化で生きるための有利な特徴が次の世代に伝えられる」と考えた。そして、「時には変異が起こり、全く新しい種が生まれることがある」ことに気がついた。ただ、自然淘汰で選択されるのは、能力ではなく個体全体である。長所も短所も受け継がれるのである。
ヒトとチンパンジーのDNAは98%以上同じであり、マウスとですら90%ほど同じである。行動上の類似点もある。ヒトの赤ちゃんもサルやマウスの赤ちゃんも酸っぱいものを口にすると顔をしかめる。恐怖や喜びなどの情動表現は種間で共通点が見られるのである。
「伝統的な哲学では、心の働きについての知は先見的なものであって、それを得る方法は演繹や内省以外にはないとされてきた」。では、進化生物学的にその知の獲得を説明できるのだろうか。そうした能力が進化の過程で選択されてはおらず、経験的に学習しなくてはならないのは明らかだ。

4.守旧派の抵抗
実験データに基づかない古典的認識論は今でも消滅していない。それには2つの理由がある。第一に20世紀になるまで神経科学が認識論を扱えなったからであり、第二に論理学が発展したからである。

4.1 心と脳の自然科学の障壁
第一の理由は技術的な問題に因るところが大きい(一章でも述べられている)が、それと関連して概念レベルの問題がある。「追求すべき問題についての十分な概念がないため、適切な問いを立てることができないのである」。概念のレベルで間違っていると真実を誤認してしまう。心と脳の問題は概念レベルでもハードルが高い。だから、古来より思弁的になる傾向が強い。仮説なしの観察・実験はあり得ない。科学的データを無視した認識論は馬鹿げている。たとえ乏しいデータであったとしてもそれをなんとか活かすことと、全く無視することでは大違いである。

4.2 論理的認識論
第二の理由については、認識論の巨人、哲学者ムーアの存在を無視できない。「ムーアは「常識」を重視した」。ムーアのいう「常識」とは、言葉の真の意味に細心の注意を向けることで到達できる理解のことをさし、これに反した科学や哲学に疑問を投げかけた。しかし、言葉の意味を探求すれば本質が明らかになるという誤解を生んだ。そして現代論理学によって、「哲学は心と脳の科学から分離される方向に向かった」。けれども、論理的に真でも実際に正しいかどうか証明する必要がなくなったわけではない。カルナップは「公理はその定義上、真であるから、そこから導かれた定理も真であることは保証されている」と主張した。カルナップは科学を顧みず言葉の意味の分析を重視した。このアプローチを論理実証主義という。論理実証主義は数学との整合性が重視され、心理学との整合性は重視されなかった。方法論として思考実験が重視されたのである。しかし、1931年に「数学的理論は不完全であり、決して完全にはなり得ない」というゲーデルの不完全性定理が提出された。これによって論理学によるアプローチの土台が崩れてしまった。結局、カルナップの試みは斬新であったが得るところがほとんどなかった。それでも哲学者は思考実験を重んじた。ウィトゲンシュタインを始祖とした「意味の分析」によって「概念的必然」や「概念的真実」を解明しようと試みた。しかし、「意味の分析」は実体に欠けることが多かった。ファイヤーアーベントは次のように反論している。「あるものの意味についての分析によって明らかにされることは、ある人々が、ある場所で、ある時に、そのものについて信じることにすぎない。そのものについての真実については明らかにされ得ない」。クワインも意味の分析について鋭く反論している。

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テーマ:心・脳・言葉・人工知能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2006.04.16 | | Comments(0) | Trackback(0) | ブレインワイズ

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