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マインド-心の哲学4章

四章「意識1 意識と心身問題」はこの本の山場であると思う。

この章では唯物論と二元論それぞれに対して反駁を行い、サールが自説を披露している。
唯物論も二元論もどちらも部分的には正しいが、すべてが正しいわけではない。私たちは伝統的な言葉に引きずられて、無理に唯物論的か、もしくは二元論的であると考えがちであるが、そう考える必要はない。伝統的な考え方を意識的に忘れて、事実の記述につとめ、それぞれ正しい部分を間違った部分から切り離すことが重要である。

はじめに四つの誤った概念として、「心的なものと物理的なものの区別」、「還元」、「因果と出来事」、「同一性」をあげて、これらの概念がどのように誤っているか説明している。

ここでは、とくに重要であると思われる「還元」という概念だけを紹介しておく。還元は哲学においてもっとも混乱した概念のひとつであるという。還元という概念を用いるうえで大切なことは、因果的な還元と存在論的な還元を区別することである。しかし、この区別ができていない。この二つの違いを説明するため、タイプAの現象をタイプBの現象に還元する場合を考えてよう。

因果的に還元できるといえるのは、タイプAの現象のすべてがタイプBによって因果的に説明され、かつ、タイプAの現象がタイプB以外の現象を因果的に引き起こさない場合に限られる。たとえば、個体性(2つの物体が同時に同じ空間を占められないとか)は分子のふるまいから因果的に説明できる。

存在論的に還元できるといえるのは、タイプAの現象がタイプBの現象にほかならない場合に限られる。たとえば、物質は分子の集合に他ならないなどである。

そして、サールは意識は因果的に還元できるが、存在論的には還元できないと主張する。

グラスや木などはその表面的な性質によって(存在論的に)説明できる。分子的な振る舞いによって(因果的に)も説明できる。科学の歴史において、存在論的な還元が因果的な還元によって定義しなおされてきた。しかし、意識の場合、因果的な還元による説明だけでは不十分である。なぜなら、意識とは、一人称的・主観的な性質をとらえる概念であるからである。もし、三人称的な用語で定義しなおせば、意識という概念をもつことの意義が失われる。

唯物論者は、主観的、質的な現象で物理的なものに還元不可能なものはないという。つまり、あるのは三人称的,客観的な現象だけであると。二元論者は、意識は三人称的なものに還元できないという。つまり、心的なものと物理的なものがあると。

意識は神経生物学的な過程に因果的に還元できる。言い換えれば、意識は神経生物学的な過程とは別な何かではない。しかし、意識の一人称的・主観的な性質は神経生物学的な過程には還元できない。これがサールが唱える「生物学的自然主義」であり、唯物論とも二元論とも異なる。

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2006.07.17 | | Comments(0) | Trackback(0) | マインド-心の哲学

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