スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.-- | | スポンサー広告

ブレインワイズ 2章 形而上学とは

日本語訳の『ブレインワイズ 脳に映る哲学』は「1部 形而上学」と「2部 認識論」からなっています。(オリジナルには「3部 宗教」があったのですが割愛されています。)
構成は、

 1章 序
1部 形而上学
 2章 形而上学とは
 3章 自分とは何か
 4章 意識
 5章 自由意志
2部 認識論
 6章 認識論とは
 7章 表象する脳
 8章 学習する脳

となっています。

今日は「2章 形而上学とは」です。

1.アリストテレスの真意
万学の祖アリストテレスの代表的な著書に『自然学 Physica』がある。この書では、今でいう自然科学の様々なテーマが扱われている。けれども、アリストテレスはその後の仕事に題名を付けなかった。そして、のちに「自然学」以外の仕事が纏められ、「続・自然学」を意味する『形而上学 Metaphysica』という書名が付けられた。『形而上学』では、世界の究極的の構成要素(土、空気、火、水)や原因の種類や存在論など「自然学」より大きなテーマが論じられている。そして、アリストテレスは『形而上学』の内容を本質的には科学的方法の延長上にあるものと考えていた。しかし、後世の哲学者たちは、形而上学とは科学的方法では探求できないものを純粋な理性と反省、洞察と黙想をもって追求する学問と解釈し、あらゆる科学の基礎を定めるための学問としたのである。

19世紀末、科学が発達し形而上学の対象範囲が狭まっていくなかで、プラグマティズムという考え方が生まれた。プラグマティズムは哲学者パースによって提唱され、「科学的な方法論(観察、実験、仮説の設定、分析)よりも適切なものも根本的なものもないと認めざるを得ない」と主張する。そして、クワインがさらにこの考えを推し進めた。クワインによれば、「科学とは文化を進化させるための、常識を厳密で系統的に整理したものにほかならない」。

こうなると形而上学に残されている道は、まだ科学が扱えないテーマを扱うことである。最近まで心についての問い、意識とはなにか、自己とは何か、自由意志とは何か、などの問いは形而上学的な問題だった。しかし、神経科学の発達により心と脳についての問いが解明しつつある。心は形而上学上の問いではなくなるのだろうか。


2.形而上学と心
心が物質を超越した何かであるという証拠はない。しかし、心が脳の活動であるというデータは沢山ある。例えば、アルツハイマー病での知能低下や、逆さメガネをかけたときの適応と脳活動の変化などである。その中でもっともインパクトを与えたのは、分離脳の症例である。左右の大脳半球は脳梁という連絡網によってつながっている。1960年代に重度のてんかん患者に対する治療法とし、脳梁を切断する手術が行われた。その結果、てんかんは治まったのだが、左右の脳はそれぞれ別の知覚、運動の意思決定をもつようになった。左と右の脳に異なる視覚入力が入るように2つの写真を提示する。見えた写真と関連の深い図柄のカードを選ばせると、左手は右脳に入った視覚刺激と関連の深いカードを、右手は左脳に入った視覚刺激と関連の深いものを選んだ。この結果からいえることは、「ひとりの人間としての精神生活には、左右の脳の解剖学的な連結が必要だということである。」これは心が脳の活動であると言う仮説を支持するものである。

デカルトの二元論では無意識の心は想定されてなかった。無意識の認知活動の例は非常に多い。例えば、人の魅力や態度を顔をみて判断しようとするとき、瞳の大きさを無意識に判断の材料に使っている。瞳が小さいと魅力が乏しいのである。しかし、私たちは瞳を見ていることさえ全く意識してないのである。
また、inattentional blindsightという現象がある。スクリーンに垂直と水平の線分を提示してどちらが長いか判定させる課題を行っている最中に、瞬間的に視野の中心に単語(例えばFLAKE)を提示する。その提示時間は単語を知覚するためには十分である。しかし、線分に注目していると単語は意識にのぼらない。けれども、その後、FL○○○を見せて空所を埋めてもらうと、単語を提示されなかった人たちに比べて、そのFLAKEと空所を埋める割合が格段に上昇するのである。


3.因果関係は幻影か
伝統的な形而上学は因果関係を重視している。そして、次の2つは形而上学、神経科学においてともに議論されている。
(1)単なる「関係」と「因果関係」を、神経科学はいかにして区別するのか。
(2)あらゆる生物は、自分の生きる環境の事物や出来事の因果関係を知っているが、これはどのような神経生物学的メカニズムによって獲得されるのか。

(1)は方法論についての問いで、神経科学によらずあらゆる科学にとって重要な問題である。そして、これを真剣に考えれば統計学の重要がわかる。
(2)は神経系はいかにして「原因」と「たまたま共存する無関係な因子」を区別しているのか、ということである。

「因果関係についての説明は、物事がいかにして起こったのか、あるいはいかにして今ある状態になったのかが明らかにできるものでなければならない。」そして、原因には以下の3種類がある。
「(1)直接の原因(落雷のために山火事が起こる)
(2)素因としての原因(高血圧という素因は、脳出血の原因になる)
(3)背景としての原因(海に近い南の地であることが、サンディエゴの温暖な気候の原因である)」

ヒュームは、「人間に観察しうるのは順序だけである。そこに因果関係があるということは、人間の主観的判断にすぎない」と言った。ヒュームの主張に対する反論として「自然法則に従う必然」というものがある。つまり、真の因果関係は自然法則で説明できるというものである。しかし、はじめから因果関係を前提してしまう恐れがあるし、どのように自然法則とそうでないものを区別するかという問題もある。
ヒュームの主張に対して満足のいく反論は今のところない。

スポンサーサイト

テーマ:心・脳・言葉・人工知能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2006.02.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | ブレインワイズ

«  | HOME |  »

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。