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世界の究極理論は存在するか 4実在の基準

4章では、よい説明とはどのようなものか、そして、実在の基準とは何か、について書かれています。
まず、太陽系の配置についてのガリレオと異端審問所の論争を例にとり、科学におけるよい説明とはなにかということを説明しています。

ガリレオは太陽を中心に地球を含む惑星が運動していると考えた。一方、異端審問所は地球が中心であるとした。ガリレオは、惑星が単純な円(楕円)を描いて太陽の周りを回っていると説明した。異端審問所は、惑星が地球の周りを本当に複雑な曲線を描いて運動していると説明した。しかし、太陽中心説を理解してはじめて異端審問所の説が理解できる。その逆ではない。必要以上に説明を込み入らせてはならない。
独我論も同様の構造を持っている。独我論は論理的には矛盾していないが、実在に対する説明を極端に込み入ったものにする。

実在の基準はなにか。あるものが実在であるのか、それとも虚構なのか、その判断基準はいったい何なのか。例えば、目の前にある大きな石が、自分の想像の産物でないとどのようにしたら反駁できるのだろうか。答えは、ただ蹴飛ばしてみればよい、である。結果、自分の足が蹴り返される。この現象を説明する際に、石を実体でないと見なすと説明が複雑になる。それならば石を実体と見なした方がよい。

以下抜粋:

「もっとも単純な説明にしたがったときに、ある実体が複雑で自立的であるならば、その実体は実在的である」

「自然からは理論のいかなる断片も文字通り「読み取る」ことは不可能である」

「必要なのは、正しい方法で一般性のある問題と有望な理論を心に抱いてー見ることだけである」


この章で使われている”実在”は"reality"の訳なのだろう。"reality"には真実という意味があるが、”実在”という言葉からは真実という意味が直接的には伝わらない。実在”を"reality"に置き換えて読むと内容を理解しやすくなる。

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2007.01.27 | | Comments(0) | Trackback(0) | 世界の究極理論は存在するか

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