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ブレインワイズ 3章 自分とは何か 後半

今日は『ブレインワイズ 脳に映る哲学』の3章の後半です。

2. 身体や自己の内部モデル

2.1 身体を表彰する神経系
「身体を表象する神経系は、体性感覚系と自律神経系に大別される」。体性感覚系は筋骨格系や皮膚に受容体を持っていて、自律神経系は循環器系と消化器系を支配している。

体性感覚系は身体の配置や身体と外的なものとの接触状態を脳が知るための基本的な装置である。体制感覚系は、触覚圧覚、温度覚、位置覚、痛覚の4つのモダリティに分けられる。4種類の受容体は脳へそれぞれ個別の信号伝達経路をもっていて、脊髄、脳幹、視床を通って大脳皮質へ投射している。そして、身体で近接しているものは、神経系でも近接している(例えば、手と腕は近いエリアにマップされている)。皮膚の受容体はさらにいくつかの種類にわけられる。産毛がある皮膚は毛の動きに反応した非常に軽い触覚刺激を感知する。皮膚にはさらに数種類の受容体があって、速い反応と遅い反応を示すものがある。また、温刺激と冷刺激に反応するそれぞれの受容体がある。
筋骨格系の受容体は、刻々と変わる身体の位置を脳に伝える。この情報を固有覚という。固有覚はほとんど意識されないが、これを伝える神経経路が破壊された患者は、自分の手足の位置を目で確認しないと姿勢を保つことすらできなくなってしまう。
新生児はどれくらい身体表象をもっているのだろうか。メルゾフは、生後42時間の乳児が、大人が舌を出したり、大口をあけたり、顔をしかめたりするのを真似するのを観察した。ただし、乳児は舌を出した状態だけを見ても真似をせず、運動全体を見たあとで真似をする。このことから言えるのは、新生児は、何を見ているか知っていて、それが自分の体のどこに対応するか知っているのである。つまり、他人の顔の運動を自分の身体表象にマップできるのである。

自律神経系は主に内蔵を支配していて、交感神経系と副交感神経系に二分される。交感神経系は獲物に襲いかかったりするときに働いて、心拍数を上げ、アドレナリンを分泌し、消化管の筋活動が抑制する。獲物を捕らえ食事になると、副交感神経系が働き、唾液が分泌され、消化管の運動が再開し、心拍数が減少する。自律神経系は自己表象にはあまり関係がないと思われる。しかし、生存のための機能を協調し、行動の選択に影響を与え、経験に情動的色彩を与える。

自己表象には直接的に関係してないかもしれないが、体性感覚系と自律神経系がその土台となっている。

2.2 自分以外のもののなかの自分
私たちが学ぶことの多くは、世界との因果関係である。私たちは、ある物を動かしたらどうなるかという因果関係を理解する必要があるが、それ以上に他人がどのように考えているか予想(表象)することが集団生活を営む上で重要である。相手の意図や欲求を感じ取ることは、「相手の表象」を表象するということである。しかしこれは間接的なものである。相手の気持ちを理解しようとするとき、相手の脳の状態を直接みることができないので、私たちは相手の顔色や態度から推測する。相手の表情を脳の状態の反映とみなすのである。(1章でも述べられているが)哲学者セラーズがいうように「他者や外的世界の表象を自分の中に再構築することは、科学的な仮説を立てることに似ている」。そして、エミュレーターの考え方を導入することにより、他者を理解する能力について、言語による推論が必ずしも必要でないことがわかる。相手の動作を観測して、その結果がどのようになるか順モデルを用いて推定できる。つまり、シミュレーションによって相手の意図を表象するのである。
これに関連したサルの神経生理実験がある。リゾラッティはサルの前頭前野に、他の動物が特定の動きを見たときに発火し、さらに自分がその動きをしたときにも発火するニューロン(ミラーニューロン)を見つけた。このニューロンは他の動物の動きを見たときに、その動きを解釈するのに使われるのである。

物事が、他人の視点からはどのように見え感じられるかを理解する能力を視点的表象という。自己について考えるとき、視点的表象をどの程度まで用いることができるかによって、自己表象の能力が決まる。


2.3 デカルトへの反論
ここで、デカルトが主張する心の特殊性に対する反論をあげている。
1.神経活動あったの知的活動である。
2.無意識に対応する神経活動がある。
最後に自分の心を直接知ることができるから心が特別なものであるということに対する反論として、
3.とくに病的な状態では自分の心の状態の判断を誤ることがある。


3. 自己表象への道程
脳は私たちを世界に適合させる。そして、人類には世代間伝達という能力がある。文化や技術が子どもたちに受け継がれていくのである。神経科学はまだ未熟であるが、今の答えが次の足場となって進歩していくのである。


この章を終わりまで読んでも、チャーチランドがヒュームの問い「自己とは何か」に迫ったようには思えない。ただ神経科学の結果を羅列している感がある。もちろん、神経科学の結果を顧みないのは良くない。しかし、結果だけから「自己とは何か」という深淵な問いに答えが出るとも思えない。そして、いつの間にか問い自体も置き換えられて、「自己はどこからくるのか」になり、自己は神経生物学的なものが基礎になっているという答えに落ち着いてしまっている。
2.2節の終わりの「自己とは、体の調節と表象にほかならない。しかしながら、自己分析や自己内省や自己意識の能力には、どうしても何かそれ以上の深い意味があるように思えてくる」からわかるように、著者も満足はしていないようだ。
けれども、この章から垣間見れる著者の態度は「神経科学が進歩すればわかるでしょう」である。これでは現状の負けを宣言しているようにも聞こえる。「いつかわかるでしょう」ではなく、今足りていない知見や考え方(とくに方法論や結果を解釈するための概念)を提起するのが重要なのではないだろうか。
ただ表象といっているだけでは不十分で、さまざまな自己表象をまとめて理解するための新しい概念が必要なのではないかと思う。たとえば、自動車を知らない人が自動車がどのようなものであるか知りたがっているとする。そこでその人はパーツごとに調べてみればわかるだろうと考えた。エンジンは燃焼をピストン運動に変えることがわかった。ハンドルをまわせばタイヤの角度が変わることがわかった。ライトは前方を照らすことがわかったなどなど。けれども、こんなことをいくら羅列したって自動車がいったいどういうものであるのかわからない。自動車に乗って(または誰かが運転しているところを見て)はじめてわかるのである。「自分とは何か」の問いと自動車の例は、全く異なるレベルの問題なので直接的な比較はできない。しかし、この例からわかるように、今までの方法論や概念に固執しても何も生まれない場合もある。
残念ながら「ではおまえのいう新しい概念とは何だ」と聞かれても答えられない。もう一歩下がって、なぜ新しい概念を見つけられないのか、から出発すべきなのかもしれない。

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テーマ:心・脳・言葉・人工知能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2006.02.23 | | Comments(0) | Trackback(0) | ブレインワイズ

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