スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.-- | | スポンサー広告

ブレインワイズ 5章

今日は「5章 自由意志」です。

1. 意志と罰
報酬と罰は人間の行動に影響を与える。報酬と罰がある社会のなかで円滑に行動するためには、自分の行動をコントロールできなくてはならない。自由意志や責任についての考え方は、意思決定の神経メカニズムが解明されるにつれて変わるのだろうか。

2. 行為の原因と自由意志
昔から、行為の結果に責任があるかどうかはその行為の原因によると考えられてきた。自由意志による選択とは、他に原因がなく自分で決定した行為ということになる。では外的な原因なき選択(これをリベラタリアニズムという)とは本当にあるのだろうか。ヒュームはリベラタリアニズムを否定した。人間の選択には心の中に何らかの原因があるに違いないという。それは「欲求」や「信念」と呼ばれるものである。
ここで押さえておかなくてはならないのが、原因があるからといって予測できるわけではないということである。意志決定に関わる脳活動にもすべて原因があると思われるが予測できるわけではない。

3. 自由意志についての旧説
「原因が本人の内部にあれば、それは自由意志による行為である」というのは誤りである。ハンチントン病の原因は線条体の異常によるものだが、患者の欲求や意図に無関係に不随意運動が生じてしまう。

「本人が行為の意図を意識していれば、それは自由意志による行為である」というのも誤りである。強迫性障害の患者には行為の欲求や意図があるが、どうしてもその行為をやめられない。

「自由意志による行為には、本人にその実感がある」というのも誤りである。日常では、ちょっとした影響が無意識に自分の行動を決めている場合が多々ある。

「別の行為をとることができたかどうかが、自由意志による行為かどうかの基準である」。これはそもそも循環論法である。

4. 意志決定の神経生物学に向けて
自由意志による行動かそうでないかの境界は曖昧である。とくに「脳のメカニズムが解明されるにつれて、どんどん曖昧になってきている」。自由意志に関連する脳部位のなかで重要と考えられているのは、前部帯状回、海馬、島、前頭葉腹側皮質などである。帯状回が損傷した患者は意識があるのに自発的な運動ができなくなってしまう。セロトニン、ドーパミン、エピネフリンなどの神経修飾物質も自由意志になんらかの影響を及ぼしている。「意志の神経機構の詳細はまだまだ不明である」が、神経科学が進めば「最終的には、自己コントロールの範囲内にある行為と範囲外にある行為を、神経科学によって区別できるようになることが期待される」。
理性が感情に勝てば正しい意思決定ができる(カントの倫理哲学)かどうかというと、そうではない。意思決定を行うためには自己の行動の帰結を予想する必要がある。そのとき自己の反応も予測しなくてはならない。自己の「反応の予測のためには感情が必要なので、結局は感情が自己の言動を左右する」。
「正しい意志決定のためには感情の役割が非常に重要であることが明らかにされている」。前頭葉腹内側部に損傷がある患者は理性のレベルでは損得を理解しているが、実際の行動では目先の利益にとらわれてしまう。この患者は知識や短期記憶も正常である。しかし、健常者で判断行動時に見られる皮膚電気反応が得られない。これは情動に関連したデータである。つまり、この患者は意思決定時に関わる情動が欠落しているために意思決定がうまく行えないのである。「複雑な決定を下すべき前頭葉が、複雑な状況や計画や考えについての情動的な価値についての情報にアクセスできない」のである。情動は行動選択のまえに無意識に私たちの判断に影響を与えていて、なぜ選択しかた説明できるのはその後なのである。
「人は行動を選択する前に、その結果を予測し、評価する」。通常は「認知と情動を別と考えるのであるが、脳という観点からすれば、両者を単純に切り離すことはできない」。

5. 理性を学習する
理性的な判断は経験に基づいて身につけたものである。理性的という概念を学習するためには情動の働きが必要である。扁桃体が壊れてしまって恐怖という感情を失った患者は、ごく簡単で論理的に判断できる状況に置いては危険を認知できるが、複雑な社会・対人関係では危険を察知することができない。
ダマシオは情動には「第一の情動」と「第二の情動」があると言った。「第一」は外的な刺激に対する反応で、「第二」は内的に作られた表象や過去の思い出に対する反応である。そして過去の類似した状況と同じような感情を呼び起こすことが意思決定に影響するという。

6. 責任の行方
脳内には必ず行動の原因があるとなると、その行動の責任が当人に本当にあるのだろうか。
結論:「人には責任はあるのだ。もし責任がないとされると、社会は機能しなくなってしまうからだ」。
また責任がないとすれば自らの失敗について悔恨などの感情が生まれず人は成長しなくなってしまう。


【“ブレインワイズ 5章”の続きを読む】

テーマ:心・脳・言葉・人工知能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2006.04.12 | | Comments(2) | Trackback(0) | ブレインワイズ

ブレインワイズ 4章 後半

前回のブレインワイズのレビューから2週間も空いてしまいました。
もう少しコンスタントにできないのかと思いつつ今回の分を始めます。

今日は「4章 意識」の後半、
2.心身二元論から科学への挑戦状
です。

生命へのアプローチが意識へのアプローチのアナロジーとなる。生命へのアプローチはどのような変遷をたどったのか。生命に対応する何らかの物質を見つけようとするアプローチ(直接的アプローチ)は失敗した。生命は結局、DNA、RNA、タンパク質などの様々な物質の総合体である。それ以上でもそれ以下でもない。生命とは何かを理解しているということは、その様々な機能や構造を理解しているということである。そして、いくつもの発見(何か一つの実験でというわけではない)が積み重なり、生命の全体像の理解が進むことで、生命の本質とは「生気」であるという「生気説」は消えた。意識へのアプローチも同様の流れをたどるだろうと予想している人たちが間接的アプローチの支持者である。


とはいえ、意識が脳機能からは説明できないという主張がある。ここでその7つの主張を挙げる。

1科学が意識を解明できるとは到底考えられない?
意識は永遠に解答不可能であるというのである。
この主張がどのような議論をもとに成り立っているか公式化するとその論拠の無さが見えてくる。

前提:現象pについて、ほとんど何もわかっていない。
結論:pは将来も決して解明されることは無い。

問題が深淵すぎるためではなく、私たちの知識が乏しいがためにすぎない。

2ゾンビ仮説?
体験の主観的な質(クオリア)だけを持たない人間を考えることができる。つまり、青という主観的な質を感じること無しに「今日の空はとても青い」と言うような人間である。そして、想定することができるということは論理的に存在しうる。だからクオリアを持たない人間は存在しうるから意識は脳とは無関係である。しかし、論理的に可能であっても物理的に不可能な場合がある。論理的可能性によって神経科学を議論することは「全く地に足が着いてない方法」である。

3 問いが難しすぎて解けるはずがない?
意識の問題についてほとんど無知なのに、その問題が難しいかどうかなんて初めからわかる訳がない。まず、問題の難しさの判定が正しいかどうか考慮すべきである。

4 他人の主観的体験を知ることはできない?
この主張の土台は「逆スペクトル問題」にある。「逆スペクトル問題」とは色の感覚が他者と反転していてもそれに決して気がつかないというものである。例えば、同じ色を見ているのに、私は赤と感じ、あなたは緑と感じていているが、言葉にしたら二人とも同じ色の名前を言うため、客観的に主観的体験の違いを捉えることはできない。これもゾンビ仮説と同じく論理的可能性を議論しているにすぎない。今のところ、脳の状態が等しくても体験の質が異なるという例はない。
人間の色のクオリアは三次元であるということがわかっている。それはマンセルの色立体から見てとれる。マンセルの色立体は「人間の主観的な色の相違の感覚によって決められたものである」。人間の網膜には色に反応する3種類の錐体細胞がある。錐体細胞S(青のスペクトル)、錐体細胞M(緑のスペクトル)、錐体細胞L(赤のスペクトル)である。錐体Mと錐体Lが反応する波長にはかなりのオーバーラップがあって、青と緑の間よりも、緑と赤の間の違いを細かく識別できるようになっている。逆スペクトル人はこのような色の境界判別も異なり、「通常の人間にとって似た色が全く違う色に見えることになる」。
外側膝状体では視細胞からの入力が「青 対 黄」、「緑 対 赤」、「白 対 黒」となるように変換される。「青 対 黄」の細胞活動は「錐体M + 錐体L - 錐体S」で表現され、「緑 対 赤」の細胞活動「錐体L - 錐体M」で表現され、「白 対 黒」の細胞活動は「錐体S + 錐体M + 錐体L - 平均の抑制性シグナル」で表現されている。外側膝状体のこの3種類の色彩対立細胞の活動で色のクオリアを説明できるとすればその意味は大きい。「脳の色彩コードのメカニズムが明らかにされるにつれて、他がすべて同じでクオリアだけが反転している人間が存在する可能性はゼロに近づいていく」。

5 人間の認知機能や行動を神経レベルに直接還元するなどできるはずがない?
これは誤解である。神経系はさまざまなレベル(分子、細胞、ニューラルネットワーク、脳の領域、領域間の相互作用)から成り立っていて、どのレベルが重要であるか未だ不明である。神経科学は高次機能を直接神経細胞レベルで説明しようとはしていない。一歩一歩進めていこうとしている。

6 意識は神経レベルではなく原子以下のレベルの現象である?
ペンローズとハメロフは細胞内のタンパク質輸送に関わっている微小管という分子が意識に関与していると考えた。ペンローズによれば数学的思考はゲーデルの不完全性定理を越えたものであり、そのためには量子論的説明が必要であるというのである。その量子効果を担うのが微小管というわけである。しかし、ペンローズとハメロフの説を支持するデータは一つもない。

7 科学はすべてを解明できない?
科学で解明できないことはある。しかし、意識がそうであるかどうかはわからない。


【“ブレインワイズ 4章 後半”の続きを読む】

テーマ:心・脳・言葉・人工知能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2006.03.20 | | Comments(2) | Trackback(0) | ブレインワイズ

ブレインワイズ 4章 意識 前半

ちょっと前回から間が空いてしまいましたが『ブレインワイズ 脳に映る哲学』の要約を続けていきたいと思います。

4章は、
1. 問題のありか
2. 心身二元論から科学への挑戦状
の2節からなっています。

4章も長いので2回にわけます。今日は、「1. 問題のありか」です。

1.問題のありか

意識されていることとされていないことの違いは何か。この問いに対して2つのアプローチがある。一つは科学的な方法で明らかにしようとする立場で、もう一つは科学では決して解明できないとする(神秘主義的と呼ばれる)立場である。ここでは科学的な方法について考えていく。
意識の定義は何か。定義するためには正確な分類が必要だが、意識についてはそれができない。結局、科学的な理論と定義は相補的に進むしかない。そのものについての科学が成熟してはじめて、その定義が可能になる。それでは、いま意識の定義が明確に決まらないのならどうしたらよいだろうか。そのためには、「研究しようとしている現象にあたるとされる例をいくつか挙げて比較検討し、そこから浮き彫りにされてくるものをつかむのである」。まず、知覚に関する意識があげられる。そして、何かを思い出したり、予想したり、怒ったり笑ったりするときの意識がある。意識の科学は始まったばかりなので、とりあえず意識についてのプロトタイプを大まかに決めて、意識の科学について有意義な実験を開始しなければならない。長期的には代謝や生殖と同じレベルまで意識を理解したいが、ひとつの実験パラダイムで解明しようというのは非現実的なので、短期的な、現実的な目標を立てるべきである。

直接的アプローチ
意識に対応する物質的な「もの」を同定し、神経生物学によって説明することを目指すのが直接的アプローチである。ここで言う物質的な「もの」とは、特定の部位にある何かとは限らず、神経細胞の活動パターンである可能性がある。研究対象の基盤となる何かが発見されると大きな発展が期待できる。たとえば、DNAのらせん構造の発見によりたんに遺伝情報の構造が明らかになっただけでなく、タンパク質合成の仕組みや遺伝のメカニズムの基礎が解明されたのである。同じようなことが意識の科学的な研究にも言えるはずである。クリックは次のような前提を立てた。呈示された刺激を被験者が意識している状態と、意識していない状態では脳のレベルで何らかの違いがあるはずである。そして、適切な実験を行えば、この違いを発見することができるはずである。この検証に適した心理学的現象を選び実験を行い、意識の有無によって異なる神経レベルの相違を明らかにすれば、意識のメカニズムの解明につながるはずである。

両眼視野闘争
クリックの前提に適した現象が両眼視野闘争である。左右の目に異なる絵を入力させると、左目に見せた絵と右目に見せた絵が交互に知覚される。両眼視野闘争の実験をする場合、顔の絵を用いるのがよい。顔に選択的に反応する部位があるからだ。サルではSTS(上側頭回)と呼ばれる部位のニューロンが顔に特異的に反応する。人間でも顔に特異的に反応する部位があることがわかっている。
両眼視野闘争の神経科学の実験は1989年にNikos Logothetisによってはじめて行われた。そして、1997年に顔と太陽を用いたサルの実験が行われた。サルは「顔が見えてます」と言葉にはできないので、予め顔が見えたか太陽が見えたかで別々のボタンを押すように報酬を与えて訓練しておく。両眼視野闘争の実験の結果、顔刺激の意識の有無に関わらず反応するニューロンと、顔刺激が意識されたときにのみ反応するニューロンがあった。STSでは約90%のニューロンが顔刺激の意識に関連するニューロンが存在することがわかった。しかし、実際には、視覚的意識に一致していないのかもしれない。視覚的意識の結果、活動したのかもしれないし、視覚的意識の前段階の活動だったのかもしれない。

同じような実験パラダイムを用いたヒトのfMRI実験がある。Roger Tootellらは、滝の錯視(滝をずっと見た後に静止しているものを見ると止まっているものが上に動いているように見えるという錯視)が起こっているときの脳活動をfMRによって調べた。その結果、動きに反応するMTやが錯視のときに活動していた。また、幻覚を見ているときの患者の脳活動をfMRIで調べてみると、一次視覚野はほんとんど活動していなかったが、視覚野の腹側部が活動していた。これらの結果から、少なくとも視覚野のある細胞群が視覚意識に関連しているということがいえる。

逆行投射と意識
V1からV2へシグナルが伝わるというような順方向の投射だけでなく、その逆の投射も脳の至る所にある。Gerald Edelmanはこの逆投射が意識を生成するのではないかと考えた。Edelmanがこのように考えた訳は、知覚は常に「分類」という側面をもっているからだ。悲しんでいる顔を見て、これは「顔」で、そして「悲しんでいる」と判断するわけでなく、「悲しんでいる顔」として知覚する。順方向の投射しかない神経回路ではこのような処理はできない。

クリックとコッホが挙げて意識の神経相関についての知見を挙げる
 - 意識に関連する神経細胞は、空間的に広く分布している。
  そして、特定の意識が生じるときに一時的に「協力関係」を作っている。
 - 上記の神経細胞集団の活動がある閾値を越えると知覚意識が生じる。
 - 上記の「協力関係」は神経細胞の同期によるのが普通である。
 - 知覚意識の神経細胞の活動時間は短いが一定の長さを持っている。
 - 注意によりどの神経細胞が閾値を越えるかが変わる。
 - ある意識において、意識体験そのものとして活動する神経集団
  「節 node」とそれに対する暗黙知「背景活動」がある。
 - ある瞬間に意識として表れるのは、さまざまな「節」同士の競合に勝った
  「節」に対応する意識である。

意識と神経活動についての5つの可能な解釈
(1)その神経活動は意識の背景にすぎない
(2)その神経活動は意識を生じさせる原因の一部である
(3)その神経活動は意識を生じた結果の一部である
(4)その神経活動は意識と並行しているが、直接の関係はない
(5)その神経活動は意識と一致している

ただ実験データを慎重に検討すれば意識が解明されるとは限らない。光のメカニズムの解明にはマクスウェルの電磁波の理論が必要であったように、意識についても新しい理論が必要かもしれない。


間接的なアプローチ
注意、知覚、記憶,思考など意識となんらかの形で結びついているメカニズムを解明していけば、意識とは何かがわかるだろうというのが間接的アプローチである。そのため、間接関なアプローチで意識を解明するには、脳の大部分の機能が理解される必要がある。

提示版としての意識
「意識という機能があることによって、生体にはどんな利点があるのだろうか」。まず知覚や想像や推論や運動コントロールなどが柔軟になる。そして、ヒトは他者に自分の経験を報告することができるようになる。意識の柔軟な認知機能は脳内の情報に広くアクセス可能と考えることができる。Dennetは「全方向にアクセス可能であること、それこそが意識である」と主張した。Baarsはこの考えを発展させ「意識の掲示板モデル」を提案した。つまり、意識とは、公開されていて、さまざまな認知機能がアクセス可能な情報のようなものであるという。そして、Baarsは注意や覚醒に重要な働きを果たしている網様体賦活系が、どのような情報を掲示板にのせるかを決めるうえで重要であると推測した。ここで、アクセス可能であるとは神経生物学的にはどのようなことかというと、たとえば、神経細胞bが神経細胞aにアクセス可能であるとは、神経細胞aが神経細胞bの活動を引き起こすということである。

自己、主観、意識
Antonio Damasioは「意識は高次の自己表象から生まれる」と考えた。Damasioは意識と自己表象の関係を進化論的に説明している。どんな原始的な生物の神経系も、生体に内外を表象する内的モデルをもっている。この内的モデルが進化の過程で洗練され、内的モデルそのものを表象する神経回路が生まれた。つまり、現在の生体の知覚や情動といった状態を表象できるようになった。これが意識である。そして最も重要な点は、内と外の関係を表象(メタ表象)できるようになったことである。メタな表象ができると行動の選択肢を評価する能力が豊かになって生存に有利になる。
Damasioによれば、感覚の質的な違いは、表象するシグナルの相違から生まれる(例えば、網膜と嗅上の違いとか)。
どれをいつ意識できるかは脳がさまざまなシグナルを統合して決めている。Damasioは脳幹の特定の核に、その生物の状態と未来の指向に関する現在の活動についての情報が集中していると予測している。この情報を用いて脳幹が皮質の活動を調整しているというのである。


【“ブレインワイズ 4章 意識 前半”の続きを読む】

テーマ:心・脳・言葉・人工知能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2006.03.06 | | Comments(0) | Trackback(0) | ブレインワイズ

ブレインワイズ 3章 自分とは何か 後半

今日は『ブレインワイズ 脳に映る哲学』の3章の後半です。

2. 身体や自己の内部モデル

2.1 身体を表彰する神経系
「身体を表象する神経系は、体性感覚系と自律神経系に大別される」。体性感覚系は筋骨格系や皮膚に受容体を持っていて、自律神経系は循環器系と消化器系を支配している。

体性感覚系は身体の配置や身体と外的なものとの接触状態を脳が知るための基本的な装置である。体制感覚系は、触覚圧覚、温度覚、位置覚、痛覚の4つのモダリティに分けられる。4種類の受容体は脳へそれぞれ個別の信号伝達経路をもっていて、脊髄、脳幹、視床を通って大脳皮質へ投射している。そして、身体で近接しているものは、神経系でも近接している(例えば、手と腕は近いエリアにマップされている)。皮膚の受容体はさらにいくつかの種類にわけられる。産毛がある皮膚は毛の動きに反応した非常に軽い触覚刺激を感知する。皮膚にはさらに数種類の受容体があって、速い反応と遅い反応を示すものがある。また、温刺激と冷刺激に反応するそれぞれの受容体がある。
筋骨格系の受容体は、刻々と変わる身体の位置を脳に伝える。この情報を固有覚という。固有覚はほとんど意識されないが、これを伝える神経経路が破壊された患者は、自分の手足の位置を目で確認しないと姿勢を保つことすらできなくなってしまう。
新生児はどれくらい身体表象をもっているのだろうか。メルゾフは、生後42時間の乳児が、大人が舌を出したり、大口をあけたり、顔をしかめたりするのを真似するのを観察した。ただし、乳児は舌を出した状態だけを見ても真似をせず、運動全体を見たあとで真似をする。このことから言えるのは、新生児は、何を見ているか知っていて、それが自分の体のどこに対応するか知っているのである。つまり、他人の顔の運動を自分の身体表象にマップできるのである。

自律神経系は主に内蔵を支配していて、交感神経系と副交感神経系に二分される。交感神経系は獲物に襲いかかったりするときに働いて、心拍数を上げ、アドレナリンを分泌し、消化管の筋活動が抑制する。獲物を捕らえ食事になると、副交感神経系が働き、唾液が分泌され、消化管の運動が再開し、心拍数が減少する。自律神経系は自己表象にはあまり関係がないと思われる。しかし、生存のための機能を協調し、行動の選択に影響を与え、経験に情動的色彩を与える。

自己表象には直接的に関係してないかもしれないが、体性感覚系と自律神経系がその土台となっている。

2.2 自分以外のもののなかの自分
私たちが学ぶことの多くは、世界との因果関係である。私たちは、ある物を動かしたらどうなるかという因果関係を理解する必要があるが、それ以上に他人がどのように考えているか予想(表象)することが集団生活を営む上で重要である。相手の意図や欲求を感じ取ることは、「相手の表象」を表象するということである。しかしこれは間接的なものである。相手の気持ちを理解しようとするとき、相手の脳の状態を直接みることができないので、私たちは相手の顔色や態度から推測する。相手の表情を脳の状態の反映とみなすのである。(1章でも述べられているが)哲学者セラーズがいうように「他者や外的世界の表象を自分の中に再構築することは、科学的な仮説を立てることに似ている」。そして、エミュレーターの考え方を導入することにより、他者を理解する能力について、言語による推論が必ずしも必要でないことがわかる。相手の動作を観測して、その結果がどのようになるか順モデルを用いて推定できる。つまり、シミュレーションによって相手の意図を表象するのである。
これに関連したサルの神経生理実験がある。リゾラッティはサルの前頭前野に、他の動物が特定の動きを見たときに発火し、さらに自分がその動きをしたときにも発火するニューロン(ミラーニューロン)を見つけた。このニューロンは他の動物の動きを見たときに、その動きを解釈するのに使われるのである。

物事が、他人の視点からはどのように見え感じられるかを理解する能力を視点的表象という。自己について考えるとき、視点的表象をどの程度まで用いることができるかによって、自己表象の能力が決まる。


2.3 デカルトへの反論
ここで、デカルトが主張する心の特殊性に対する反論をあげている。
1.神経活動あったの知的活動である。
2.無意識に対応する神経活動がある。
最後に自分の心を直接知ることができるから心が特別なものであるということに対する反論として、
3.とくに病的な状態では自分の心の状態の判断を誤ることがある。


3. 自己表象への道程
脳は私たちを世界に適合させる。そして、人類には世代間伝達という能力がある。文化や技術が子どもたちに受け継がれていくのである。神経科学はまだ未熟であるが、今の答えが次の足場となって進歩していくのである。


【“ブレインワイズ 3章 自分とは何か 後半”の続きを読む】

テーマ:心・脳・言葉・人工知能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2006.02.23 | | Comments(0) | Trackback(0) | ブレインワイズ

ブレインワイズ 3章 自分とは何か 前半

P.S. チャーチランド著の『ブレインワイズ 脳に映る哲学』のレビューの続きです。

3章「自分とは何か」は、

 1. 自分とは何かとは何か
 2. 身体や自己の内部モデル
 3. 自己表象への道程

からなっています。

3章はちょっと長いので二回に分けます。
今日は「1. 自分とは何かとは何か」です。

1.自分とは何かとは何か
脳が「私を、他の誰でもない「わたし」にしているのである・・・・・・私が私自身について考える、そんなことを可能にする脳とは、いったい何だということになるのだろうか。」デカルトは根源的な自己とは物質的なものではないと考えた。ヒュームはこの考えを推し進め、自己という「もの」があることを証明しようとした。しかし、どうがんばっても証明できず、自己という「もの」は存在しないと結論した。「自分」とは「何か」、その「何か」についてヒュームは答えを出せなかった。
神経科学的な答えは以下のようなものである。思考は脳がする。「自己」を何らかのものであるとする思考も脳がする。したがって「自己」は脳から来る。
また、自己の起源について進化生物学からの答えは、「神経系が、知覚や記憶などを統合して生存協力に勝つために、脳は自己という概念を必要としている」である。
自己という概念には定まった輪郭はなく、様々な能力が乱れた編隊を組んで表れてくるようなものである。場合に応じて編隊の中のどれかの能力を自己と呼ぶのである。そして最も基本的な能力は、行動の目的や知覚や記憶などと運動を協調させることだろう。

自己とは何かという問題は「自己表象のさまざまな能力の集まり」と問い直せる。そして、「そのひとつひとつについて神経系のどの部分が関わっているかという問いを立てることができる」。表象とはなにか。それは何らかの情報に対応する神経活動のパターンである(詳しくは7章で)。何らかの情報とは、ほとんどあらゆるものについてのもので、食物や自分の仲間などだけでなく、自己への表象、つまり自分の知覚、感覚、好み、記憶なども含まれる。

 症例
今までの人生で経験したことの記憶を自伝的記憶という。自伝的記憶こそが、今の自分を決めているように思われる。そして、「自伝的記憶が失われれば、自己も失われるように思える」。しかし、そうではない。ダマジオの症例R.Bがそれを示している。R.Bはヘルペス脳炎によって過去のほとんどの記憶を失った(逆行性健忘)。そして新たなことも40秒後には忘れてしまう(前向性健忘)。しかし、R.Bには自己表象が保たれていた。R.Bは「私」という言葉を使うのである。例えば「いま私はコーヒーを飲みたい」などである。

統合失調症の患者ではR.Bと逆の症状が見られることがある。他人と自分の境界がわからなくなるのである。

左半身が麻痺した右頭頂葉損傷の患者は、左の手が自分のものであるとは認めても、それが麻痺していることを認めない。左手を動かすように指示されると、まったく動かせなかったにもかわらず、動かしたと主張するのである。


自己表象を脳がいかにして構築するかを解く鍵は、動物は動くということに尽きる。動物が、走ったり食べたりするためには、神経系が協調して働かなければならない。そして、そこには情動が大きく関与している。不快な情動は、ホメオスターシスを維持するための行動に駆り立て、快の情動は食事、性行為、安全になったときなどに得られる。「情動とは脳から動物に与えられる指令であり、自己表象にも強く関与している」。


 生きるためのエミュレーター
動物が生存するためには感覚と運動の協調が必要であり、そのためには脳内に身体のエミュレーターが存在するはずだという仮説がある。エミュレーターの役割は身体を適切に動かすためのシミュレーションを行うことである。例えば、目に映った対象に手を伸ばすとき、網膜座標系の位置情報からどのように腕を曲げたら対象に手が届くかという計算(シミュレーション)を行わなければならない。上記のような目標を達成するために必要な運動指令を計算するモデルを「逆モデル」という。しかし、逆モデルだけでは限界があるので、逆モデルと入出力関係が入れ替わった「順モデル」を導入することにより運動の誤差を計算できる。順モデルは、例えば、運動指令が得られたときにどのように腕が曲がるだろうかを計算するモデルである。この逆モデルと順モデルをあわせてエミュレーターと呼ぶ。エミュレーターによって知覚運動変換がスムーズになるだけでなく、オフラインの計画(知覚や運動のイメージ)もできるようになる。オフラインの計画とは、実際に運動することなしに、もしこのような運動をしたらどうなるかという予測をおこなうことである。さらに、エミュレーター(順モデル)からのフィードバックを利用すれば、運動後の知覚系からのフィードバックより速く情報を得ることができる。これは生死をわけるような速い対処が必要となる場面で大きな利点となる。

動いている犬を目を動かして追跡するとき、眼球の動きによる背景の移動と犬の動きを混同することはない(網膜上では犬は止まっていて背景は動いている)。なぜならば脳(エミュレーター)が眼球へ送られる運動指令のコピー(遠心性コピー)を分析しているからだと考えられている。
遠心性コピーを用いていることを示唆するデータがある。眼球を能動的に動かすと眼球と反対方向の運動知覚はキャンセルされる。では、受動的に眼球を動かされるとどうなるか。ヘルムホルツは片目を閉じてもう一方の目の外側を押してみた。そうすると静止している物体が動いて見えたのである。眼球は動くが、脳は眼球の運動指令を出していないので、遠心性コピーはない。したがって外界の動きとして知覚される。
また、スティーブンス(1976)は薬物を用いて眼球を動かす筋肉を麻痺させる実験をおこなった。左に眼球を動かそうとするが眼球は動かない。しかし、主観的には視野が左に動くのである。
他人にくすぐられるとくすぐったいと感じるが、自分でやってもそうは感じない。これについては、遠心性のコピーを得てエミュレーターが「自分が自分自身に触った」と解釈しその感覚をキャンセルするからだと考えれている。ブレイクモアは、被験者がレバーを押すと羽が動いて被験者をくすぐる装置を作ってこれを確かめる実験を行った。ただし、この装置は、被験者がレバー動かしても動かず実験者によって動かされる場合もある。被験者は自分で動かしたのか実験者が動かしたのかわからない。被験者のレバー押しと羽が動くまでに一定の時間差をもうけると、被験者は他人にくすぐられたと感じる。つまり、これは、自分の身体モデルについて時間情報が大切であることを示している。

テーマ:心・脳・言葉・人工知能 - ジャンル:学問・文化・芸術

2006.02.21 | | Comments(0) | Trackback(0) | ブレインワイズ

«  | HOME |  »

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。